慢性痛とは
腰痛、頚部痛、肩こり、五十肩、肩手症候群、鞭打ち関連障害(WAD:外傷性頚部症候群)、橈骨遠位端骨折後の上肢痛など、慢性的な頚肩腕痛や腰痛は日常の臨床において高頻度で遭遇します。
これらの慢性痛は、原因がはっきりしない、あるいは明らかな損傷がない、原因となるに足りない些細なイベント、損傷が治癒しているなどにもかかわらず発生します。
慢性痛は、末梢局所の一症状というより、むしろ新たに発生した病気として捉えるべきものです。
また慢性痛は刺激に対して強烈な痛みを訴えるなどの特徴を有し、難治性であることが多い。
慢性痛は、
慢性痛患者の特徴から five D syndrome と表現され、
①薬物に対する志向(Drug)
②機能性障害(Disfunction)
③不活動・廃用性障害(Disuse)
④反応性うつ状態(Depression)
⑤能力障害・社会生活への適応障害(Disability)
に至りやすい特徴を持っています。
1.神経系の可塑的変化
1)痛覚系の可塑性とは
可塑性(plasticity)とは、本来物理学用語で弾性(elasticity)の対義語であり、加わった外力によって生じた変化・変形が、外力の取り除かれた後も残り、元の状態に戻ることなく固定化されてしまう性質のことである。
痛覚系の場合、過剰な痛みや持続的な痛みの入力によって痛覚系に歪みがいったん生じてしまうと、末梢からの痛み刺激が消失あるいはブロックされた場合でも、痛覚系に刺激閾値の低下や過敏状態、つまり感作が作り上げられ元の状態に戻らず、その歪みが残ったままとなる。
すなわち、痛みが細胞レベルで記憶として残っている状態とも考えられる。
これが慢性痛の発生要因の一つといわれている。
火傷によりポリモーダル受容器の熱感作が生じ、脊髄内に痛みに対する可塑的な変化が起こると、末梢部を麻酔でブロックしても、脊髄内侵害受容ニューロン活動の亢進が持続し、wind-up現象を引き起こす。
wind-up現象の発生には興奮性アミノ酸受容体が大きく関与していると考えられている。この受容体は脊髄後角のニューロンのNMDA(N-methyl-D-asparatic-acid)受容体に働きかけ、カルシウムイオンを選択的に通過させる。
カルシウムの流入が増加すると、細胞内に細胞性癌遺伝子であるc-fosやc-junが発現する。
これらの遺伝子は、刺激に対する短い細胞性応答を長期間の応答に変換する働きがあり、これが痛みの記憶形成に関与していると考えられている。
関節リウマチ、肩手症候群の片麻痺患者、幻肢痛を有する切断者、癌性疼痛患者など自発的な痛みが長期に継続する患者では、末梢部における痛覚過敏現象とともに中枢においては可塑的変化、すなわち末梢部で痛みの原因が消失しても、痛みを自覚する現象が生じていると考えられる。
スモン患者では原因物質であるキノホルムに対する治療が行われて以来、発症そのものはなくなったが、現在でも末梢の痛覚異常に悩む患者が多い。
キノホルムを用いた実験においても発痛物質であるブラジキニン、高張食塩水を血管を介して投与したときのポリモーダル受容器の反応はキノホルム投与後1時間以内から4時間後まで徐々に増強し、6時間経過してもその効果が持続したままであった。
この現象からも、キノホルムによる中枢における痛覚の可塑的な変化の可能性が推測される。
2)痛覚系の再編ー可塑的変化ー
慢性痛は、末梢ならびに中枢神経系の感作や可塑的変化によって引き起こされる病的な痛みである。
痛覚系は非常に幼若な情報伝達系であり、可塑性に富む。
つまり、痛覚系はどのようにでも変化し得る自由度が高く、環境や刺激により変化しやすく、その変化が固定化し、慢性的な異常、すなわち慢性痛に至りやすい。
慢性痛を誘起する神経系の可塑的変化として、
末梢神経、脊髄、視床、皮質感覚野、辺縁系などにおける、
①神経の感受性増大・感作
②神経再構築
③疼痛抑制系の変化
④情動的・精神的変調
などが挙げられます。
神経再構築に関しては、
軸索発芽、エファプスの形成、エファプスを介した情報伝達
などが報告されています。
神経系の感作とは、刺激閾値の低下感受性の増大に伴い過敏状態になることである。脊髄後角において、侵害受容ニューロンの受容野拡大や感受性亢進など感作が生じることが報告されており、このような神経系の感作が痛み領域の拡大や痛覚過敏の一因と考えられています。
神経損傷性の慢性痛では、触覚刺激など非侵害情報を伝えるニューロンが脊髄後角の膠様質(第Ⅱ層、痛覚系に関与)へ軸索発芽し、正常時にはなかった触覚神経と痛覚神経系のエファプスが形成され、脊髄構造の可塑的変化を生じる。この痛覚系と触覚神経とのcross-talkは、触れるだけでも痛みを発するアロディニアの一因とされています。
慢性痛では、交感神経と痛覚系との間にも可塑的変化が生じることが明らかにされています。交感神経系は自律神経の一つで、主に活動時や精神的な緊張時に興奮する系です。精神的な緊張下でそれまで自覚しなかった部位に痛みが出現することがあり、以前より交感神経系と痛みとは神経生理学的に密接な関係にあることが知られています。
神経損傷後に、交感神経線維が後根神経節の大細胞へ発芽することや、侵害受容ニューロンにノルアドレナリン受容体が新たに発現することなどから、交感神経と痛覚系とがエファプスを形成し情報伝達するようになる可塑的変化が生じることも報告されています。
この場合、遠心性の交感神経線維のインパルスが直接求心性の侵害受容ニューロンに伝えられてしまう。
この痛覚系と交感神経系のcross-talkは、自発痛やアロディニア、交感神経依存性疼痛の一因と考えられています。
2.慢性痛の発生メカニズム
慢性痛は、
①炎症のように末梢組織からの過剰な侵害刺激が持続的に入力された場合、
または、逆に②末梢からの刺激入力が極端に減弱した場合に発症する可能性がある。
1)炎症と慢性痛ー末梢からの過剰な刺激が続くと慢性痛になるー
組織が損傷されると炎症が生じ、その一徴候として痛みが発生します。
組織の損傷や炎症など末梢組織に生じた環境変化や痛み情報が強く持続して入力されると慢性痛に至る可能性があります。
たとえ組織損傷の治癒後や些細なイベントであっても、痛覚系の神経回路に可塑的変化が想起されてしまえば、もとの痛みの程度や領域を超えて痛みが発生、持続し慢性痛となってしまいます。
末梢組織の損傷・炎症に伴い痛みを呈するケースでは、
損傷の治癒を促すとともに、早期からの痛みのコントロールを行い、強力な痛み情報が持続的に入力されることを阻止し、慢性痛への移行を予防することが重要となります。
2)不活動と慢性痛ー末梢からの刺激が減弱すると慢性痛になるー
最近では、ギプス固定や安静、非荷重などの不活動(disuse)は拘縮や筋萎縮を引き起こすとともに、痛覚過敏を惹起することがわかってきています。
すなわち、前述のように末梢組織からの強力な刺激入力がなくても、逆に、不活動のように末梢からの刺激入力が減弱、変化することによっても神経系に感作や可塑的変化を引き起こし、慢性痛を呈するようになることが示され始めています。
ヒトを対象とした研究で、骨折のような組織損傷の有無に関係なく、四肢を固定することで、痛覚閾値の低下、運動の円滑性欠如、皮膚温の変化など、複合性局所疼痛症候群(CRPS)様の症状を生じる事が明らかにされています。
また、CRPS typeⅠの診断基準(国際疼痛学会(1994))にも不活動の有無が掲げられています。
これらのことから、ギプス固定やベッド上安静、荷重量の減少など、末梢から通常入力されている刺激が減弱または変化することによって、末梢・中枢神経系に可塑的変化が生じ、慢性痛を来す可能性があります。
不活動を余儀なくされる場合には、
周辺組織や対側類似部位を含めた広範囲な領域への刺激入力を行い、刺激の減弱や末梢環境変化を阻止することが重要となります。
コメントを残す